[横歴通信4月]例会開催


4月5日(土)の例会参加者は93名でした。(会員74名、新入会4名、ゲスト15名)
例会後は新入会員の方も二次会に参加されて、にぎやかな懇親会となりました。
本日の研究発表は横歴始まって以来、発表者が全員女性という画期的な例会となりました。以前に比べて女性会員も増えてきました。今後の活動が楽しみです。

新入会員

大中捷行(としゆき)さん

3月例会を見学した際、槙さんのイザベラ・バードについての発表があり、その中で日本人の特徴を小柄で醜く貧相と記されていると聞いたことから、興味のある古代史の「魏志倭人伝」の中の「倭」について不明なところがあったがようやくそうかと得心した。明治と奈良と時代は違っても外から見る日本人のイメージは同様で軽蔑されて倭になったので「倭」を「和」に変えて大和になったとわかり、良いスタートとなった。今日も面白い話が聴けそうです。

梅本幸子さん

先月見学して帰りがけに2年目から発表すると言われてどうしようかと思った。(ジョークですね)読書は好きだが特に歴史が詳しいわけでもなくボランティアで本を読んで感想を書くことや宗十郎頭巾を作ったことはあるが・・腰が引けていたが、知らないことを知るのは楽しいから通ってみようと入会しました。江戸時代と三国志に興味があります。

 

斎藤良治さん
今日から入会することになりました。よろしくお願いします。住まいは小田原ですが以前の勤め先が桜木町でしたので土地勘があり、なじみ深いところなので皆さんと一緒に学んでいければと思います。

 

 


竹内副会長

 

本日の司会・進行は上野副会長兼事務局長に代わって私が務めます。
不慣れなところもありますがよろしくお願いいたします。

 

 

  熊本会長

 

桜も満開になりましたが先日はいい天気から突然の雨で・・天気が変わりやすいです。4月19日に歴史散歩があります。後ほど、係から詳しい説明があります。鎌倉の大町から材木座の方面に武家ゆかりの寺院を訪ねます。是非皆さんご参加ください。また、5月のバスツアーですが定員に達してキャンセル待ちの方が4名います。満員御礼です!ありがとうございます。古文書の勉強会で4月5月分の申し込みをまだされていない方は受付で申し込みしてください。今年は昭和100年にあたる年です。4月16日から29日まで横浜高島屋ギャラリーで神奈川新聞主催の[昭和100年ヨコハマタイムトンネル」の写真や映像があります。ご興味のある方はのぞいてみてください。

 

丸山 雅子さん・・・演題「近代日本の先駆者Ⅲ 天才科学技術者 武田斐三郎」


「2027年のNHK大河ドラマは、幕末の幕臣・ 小栗上野介忠順が主人公です。小栗の功績を多くの方に知っていただく良い機会になればと思い、歴史に忠実なドラマを期待したいと思います。最近幕末の常識が見直されてきましたがまだまだです。すぐれた幕臣がいたからこそ蝦夷地の調査なども早くに行っていたのではないでしょうか。」と小栗に対する思いはひとしお強い丸山さん。近代日本の先駆者として小栗上野介、小野友五郎に続く今回は三人目の武田斐三郎を取り上げた。ご存じでしょうか。函館の五稜郭を設計したのは武田斐三郎で、五稜郭に彼のレリーフがありますが、なでると頭が良くなるというのでピカピカに光っていたそうです。

(質)私は技術屋だが武田斐三郎のことは初めて知った。こんなに立派な人がなぜ無名なのでしょうか。思い当たることがあれば。また、小野友五郎や武田斐三郎などの技術系の人にどうして興味を持たれたのか背景を教えてほしい。
(応)たまたま小栗を調べていたら二人とも出てきて、すごい人がいると知った。技術者を評価しないのは徳川に仕えたから長州・薩摩藩は宣伝したくなかったのでは。

2027年の大河ドラマで小栗上野介が取り上げられることになりましたが小栗の研究発表を先にされたのは、丸山さんに先見の明があったのでしょう。小栗だけが取り調べもないままに残念ながら
東山道総督府の原保太郎らに処刑された。それに比べて2回目の小野友五郎や今回の武田斐三郎は生きて明治以降の功績が大きかった。徹底抗戦を唱えた小栗を明治政府は恐れていたのでしょう。

金子ユカリさん・・・演題「石田三成研究② 古文書から探る三成像」

「一番目の発表者である丸山さんに敬意を表します。丸山さんとの出会いで、互いに今まで評価されていなかった人、敗者の歴史に興味があると一致、意気投合した。」という語り口から、石田三成というと”関ヶ原の戦い”というメジャーな研究でなく、なぜ石田三成が悪評なのか、悪いイメージが定着したのかという疑問から、古文書という側面からの研究をされています。金子さんは石田三成の古文書を読みたいという思いから古文書の学習を始められたそうです。石田三成も今はよいイメージに変化してきています。

(質)今度のバスツアーでは忍城に行くが、忍城攻めは三成が来る前に浅野長政が攻めていた。秀吉が小田原城にいたので、三成も小田原に行って活躍したかったのでは。忍城は湿地を利用し、成田氏が水のことを計算して建てられているので金子さんの言う通りでよいと思います。
(質)家康側からみると敗者の歴史となりますね。ところで寺で秀吉に三杯のお茶を出した話は本当ですか。
(応)事実ではありません。三杯のお茶(三献茶)をというエピソードがありますが、史実上はありません。気が利くということから後世に作られたことのようです。
(質)忍城から先に開城という話がありますが小田原が先です。史実といわれていることは違うが、夢があるのもいいのでは。朝鮮出兵での兵站は素晴らしい。三成の功績はすごい。
(応)詳しく研究することでまた、新しいことが出てくると思う。皆さんに伝えられるようにこれからも研究していきたい。


忍城は秀吉が唯一落とせなかった城で、そのことを三成のせいにされたが、実は水攻めに反対していることが分かり、兵站のみの将ではなかったと言いたいですね。

 

佐々木眞佐子さん・・演題「榎本武揚と黒田清隆」

前回の発表では語りきれなかった榎本武揚の後半生についての発表で「黒田清隆無しでは語れない」と函館戦争後から明治政府への出仕までの二人のかかわりと功績について発表された。
人を説得し動かす能力、人を生かし、才能を生かすことに尽力する黒田清隆。その期待に応え、能力や外交手腕を発揮した榎本武揚。二人の信頼関係は長く続き、生涯の友となった。

(質)黒田と榎本の関係、大変興味深く聴かせてもらいました。当時の人たちの熱い友情に心打たれました。大船軒社長の富岡氏の奥様が薩摩出身という縁から、黒田清隆は大船軒のサンドイッチを駅弁で売ったらどうかと富岡氏の背を押したそうで、そういう講談があります。ここでも二人の熱い友情があったことを紹介させていただきます。
(応)そのことは全く知りませんでした。ありがとうございます。
(質)日露和親条約での千島と樺太との交換では日本にどんなメリットがあったのか。
(応)黒田の調査によるとロシアの侵攻があまりにも進んでいて、日本人の居住地に進出して、暴力事件も多く発生していた。軍が介入すると紛争の火種になるためこれを避けたい。遠ざけるための資金や人的投入が必要だったため、安全な地域を日本領にするほうが好ましいということでそうなった。

今日は発表者が女性三人という横歴始まって以来の画期的な例会となりました。(拍手)
取り上げたテーマが戦国時代や幕末・明治維新の激動の時代を生き抜いた男たちの、ある種、能力もあったのだろうが人間としての出処進退、潔さを感じさせてくれた話だったと思う。ひとしお意味が深かったように思います。
皆さんはいかがだったでしょうか。

 

令和7年度春の歴史散歩

ー光明寺山門ー

***春たけなわ! 鎌倉の大町~ 材木座を巡る***
ー安養院・安国論寺から光明寺を訪ねてー

光明寺では特別公開の山門楼上で釈迦三尊像、四天王像、十六羅漢像を拝観!
日 時  4月19日(土)
*事前の申し込みは不要です。
集 合  12時30分
JR鎌倉駅・東口改札を出て右の交番脇
費 用  1,000円
(拝観料、入館料、団体保険料等)
コース  ご案内裏面のイラストマップをご参照ください。
解 散  16時頃 光明寺見学後現地解散
懇親会  17時~ くいもの屋「わん」 会費3,000円
*各自昼食を済ませてきてください。
*当日はご案内裏面のイラストマップ(下記)をご持参ください。

お春像・・これは?