*写真は歴史散歩時(4/23)の牡丹園にて
5月6日の例会は89名の参加がありました。(会員76名・新入会員1名・ゲスト12名)
強風の中、風に飛ばされそうになりながら皆さん頑張ってご参加いただきありがとうございました。終了後の懇親会にも32名の参加があり,コロナと冬の厳しさを無事乗り切りました。来週は歴史研修旅行が待ってます。
新入会員
福永英樹さん
泉区にお住いの60歳。大先輩ばかりのようですがよろしくお願いします。還暦を迎えました。こちらの会は、古代から近代まで幅広いので楽しみに伺いたいと思います。
会長挨拶
熊本会長
ゴールデンウイークでお休みの中、ご参加ありがとうございます。
最近話題の会話型AIの検索機能を試してみました。WindowsのB-ingをつかって「横歴はどんな団体?」 と質問してみたところ、HPのリードから150文字くらいで端的に出てきます。会代表の挨拶の話題はどんなことが?と問うと憲法記念日の話はいかがかと出てきました。本日は5月の憲法記念日の経緯について話をさせて頂きます。国民の祝日として年間15日が制定されていて内、3日が5月に集中しています。今の日本国憲法は昭和21年10月29日に閣議決定されました。施行するには公示から6か月の期間が必要であり、11月3日に公示、5月3日に施行することになりました。当時の11月3日は明治節で近隣諸国から異論が出たがGHQの諮問機関の対日理事会のアンソニー・アチソン議長の日本政府の決定に介入することは望ましくないとの回答で昭和天皇のご裁可を得た。こうして日本国憲法は昭和21年11月3日に公告、翌22年5月3日に施行となり、11月3日は明治節から文化の日へ、5月3日を「日本国憲法の施行を記念し、国の成長を期する」を趣旨として憲法記念日が制定されました。祝日の趣旨やその経緯を調べると興味深いことがあるかもしれません。調べてみてはいかがですか。
歴史研修旅行「新緑の甲州路に武田氏三代ゆかりの地を訪ねる旅」
実施日 5月15(月)~16日(火)
集合場所 横浜駅東口 正面地上広場
集合時刻 午前8時(8時30分出発)
注意事項
★事前に申請頂いた本人確認証明(原本)を必ずご持参ください(旅行支援適用条件の為、コピー不可)
★横歴の名札をご持参下さい。ホテルでの夕食時には名札をお付け頂きます。(円卓和会石料理)
宿泊場所のホテルには諏訪湖を一望できる露天風呂や地酒の湯があります。美肌の湯で体の中から温まります。(時間で男女入れ替え制)
旅行担当 佐藤 猛雄 090-5771-8511
武中 正文 080-2022-9719
雨宮 美千代 090-2218-0523
◎5月例会発表のポイント
遠田千代吉氏 演題「古代地方寺院としての夏見廃寺」-大伯皇女 夏見廃寺 その三-大伯皇女の研究を始めてから7年を経た遠田氏の今回の発表は大伯皇女ゆかりの寺ではと伝えられた夏見廃寺についての考察である。
醍醐寺本薬師寺縁起に「大来皇女、最初斎宮なり、 神亀2年(725)を以て浄(御)原天皇のおんために昌福寺を建立したまう。夏身と字す。もと伊賀国名張郡に在り。」と記載された個所があり、その昌福寺が夏見廃寺と考えられている。という話から、7世紀全体の動き、壬申の乱後の豪族の勢力変化、社会風潮をまず解説された。
壬申の乱で名張に立ち寄った大海人皇子(天武天皇)との中央との関わりや大和王権による造寺奨励、当時の名張の豪族など背景から推察できることを用語の解説を含め一つ一つ丁寧に検証していった。特に金堂の特異な建築様式や塼仏の出土の点に注目し、中央との結びつきを物語る点として、発掘調査で金堂建物が奈良県桜井市の山田寺跡と同じ身舎(もや)と廂(ひさし)がともに間口3間、奥行き2間という特異な建物であること、金堂跡を中心に塼仏が多量に出土したことなどを挙げ、また、塼仏の紀年銘記も最近の発掘成果の事例を挙げて確定されたことを報告された。
渡来系のしたたかな地方豪族夏身氏の氏寺として創建された可能性が高く、最初に語られた薬師寺縁起に出てくる大伯皇女登場部分は権威付けに使われたと思われると導いた。当時は崇められ、大切な役目を担っていた多くの地方古代寺院は歴史から姿を消していったのである。
瀬谷俊二郎氏 演題「大日本帝国の崩壊」
前回の発表「膨張の日本」では富国強兵策による日本の状況等を話された。今回はその後、国際連盟を脱退してからとなる。
大日本帝国の呼称は明治時代以降、憲法等公文書などで公式に国号として使用されてきた。国家予算の半分以上が軍事費に使われ国民生活が窮乏していた。
導入として、時代を追って当時の日本と世界の状況を説明。関係国(中国・アメリカ・ドイツ・イギリス)の動向、及び日本の国力や国民生活について解説された。
当時の新聞・写真をスクリーンに映し出して、事変や生活の様子を説明。満鉄のアジア号は140キロで運行され、学童疎開や配給の様子なども自身の体験から話された。6歳の時に配給に並び、学校には必ず奉安殿があり天皇陛下の写真が飾られていたそうだ。
『きけわだつみのこえ』の話題では声を詰まらせていた。今回の歴史旅行先の長野県には戦没画学生の慰霊美術館である無言館がある。また、コロナで行かれなかった九州の鹿児島県には知覧特攻平和会館がある。いずれも「平和への訴え」が主題となっている。
実際に体験された瀬谷氏ならではの思いが伝わってきた。終戦時9歳であった瀬谷氏が、自身の体験を伝えることで平和への強い願いを訴えられた。
古谷多聞氏 演題「インパール作戦」(昭和19(1944)/3~7)
最初にインパール作戦を知っている、あるいは名前だけでも聞いたことがある人は?という問いかけに多くの方が手を挙げた。最近は横歴の会員も若い方が増えてきているがさすが歴史に興味を持っている方の集まりである。
前回の「シベリア出兵」「ノモンハン事件」に続く第三弾としての「インパール作戦」。
概要から入り、関連文学作品、関連人物、また、太平洋戦争の真珠湾攻撃からインパール作戦までの戦況を細かく解説した上での「敗戦の元凶の一人」としての牟田口廉也についての通説評価が妥当であるか検証した。牟田口については無謀な行為を一人で行ったかのように言われてきたが、日本人特有の軍閥体質、これは日本人が古来より引き継いできた武士道にも一部通じるものがあるように思われるが、上官には絶対服従、卑怯者にならない、断固貫くべきであとには引けない、といった良くも悪くも前進あるのみという考え方にとらわれる。誰もが言う無謀な作戦は一人によって引き起こされたものではないことをはっきりと示された。また、ロシアのウクライナ侵攻にも触れ、戦術、戦闘能力なども過去の事実から分析を試みている。
今回の瀬谷氏、古谷氏お二人の発表はともに戦争にかかわることでした。過去の体験と検証から戦争の悲惨さ、ばかばかしさを訴え、世界の平和への取り組みという事を考えさせられる一日となった。
*各氏講話のレジュメはHP巻頭MENU→研究発表をご覧ください。
6月例会のご案内
6月3日(土)午後1時00分~4時50分 会場/関内ホール(小ホール)
開場 12時15分~ 開会 13時
◆発表者
『南朝石刻 中国南京市とその周辺のみに残る南朝時代の石造』長田格さん
『大航海時代と信長・秀吉・家康』 長尾正和さん
『正倉院のなぜ?…聖武遺愛品は150点のみ』 宮下元さん
*詳細は「横歴例会のご案内 6月例会」をご覧ください。