[横歴信1月]令和6年度定期総会・新春講演会開催!    

令和6年1月8日(月)定期総会・新春講演会が開催されました。

本年度の定期総会・新春講演会は74名の参加者がありました。(内総会出席者65名)
すべての議案は承認され、会員表彰・新編集委員の報告も行われました。

新入会員

石井 哲也さん(高田班)
育ちも生まれも横浜ですが意外とよく知らないもので先ずは自分の足元をしっかりと。歴史に関心の深い皆様とお知り合いになれることも楽しみにしています。自分の頭に新鮮な刺激を与えていきたいという事もありよろしくお願いいたします。
 
 

令和6年度定期総会

〇定期総会(午後1時~2時10分)
★ 上野 隆千事務局長による司会進行で始まりました。
 

 
1. 資格確認 竹内 章二副会長より資格を満たしていることを確認報告。

本日現在の会員数145名。本日の出席者61名、委任状36名、計97名。定期総会の成立条件を満たす過半数の73名を超えているので本定期総会の有効・成立を確認。
 
 
 
2. 開会のことば 丸山 雅子理事
 
 
3. 会長挨拶  熊本 修一
本年も横歴の活動に対して皆さんのご協力をお願いするとともに今までのご協力に対して深くお礼申します。元旦夕刻の能登半島の地震・津波被害、翌日の羽田飛行機炎上事故と災害が続きましたがこれで終わりにして欲しいです。本日の総会ですが総会とは活動を真摯に審議していただく場です。講演会では横歴の活動に大変ご協力いただいている松尾光先生にご無理をお願いしてご講演頂きます。演題は「『孝謙女帝の結婚話』ー淳仁天皇の后を巡って」です。奈良・飛鳥に非常に造詣の深い先生ですので興味深いお話が聴けることと思います。
 
 
4. 議  題
(1)第1号議案 令和5年度総括及び今年度の展望 会 長  熊本 修一
令和5年度は3年間の新型コロナの規制もあったが緩和されました。従来は開港記念会館で行われていた例会が改修工事の為、関内ホールを会場として確保、また例会の研究発表者の確保など両事務局次長に活躍頂いた。例会参加者も平均84名と徐々に回復しているがコロナ以前の8割程度。会員数については現在145名。令和2年から新入会者は47名で3割近くが新しい会員に切り替わっています。今後の展望としては会報の発行など総会資料通りに実施していきたい。また今後歴史の研究と学習支援となる勉強会を開催したい。具体的には資料作成や発表のためのPCの操作方法や古文書の読み方等、皆さんの意見を聞きながら新しい取り組みとして行っていきたいので皆さんのご協力をお願いします。
(2)第2号議案 令和5年度活動報告      事務局長 上野 隆千
昨年の新春講演会では吉田律人先生の「関東大震災と横浜―被災者の記録を中心にー」を行った。研究発表会では初めての発表者が6人、内4人が女性であった。コロナ前までは女性の発表者はほとんどいなかった。
春の歴史散歩は参加者42名、懇親会参加者38名とほぼ同数。5月のバスツアーは参加者29名と少なかったが、人数の少なさを感じさせない盛り上がりを見せた。第2回はま寄席は高尾顧問のリーダーシップの下行われ、非常に評判も良く229名の参加があった。終了後他団体からの依頼もあったが役員の負担や経費の面から今後の検討課題が多く、今年度はお休みさせて頂く。秋の歴史散歩は鎌倉周辺を巡ったが有名なところばかりでなく横歴ならではの皆が行かないようなところも行くので是非多くの方に参加いただきたい。会員数については新規入会18名、退会12名で現在145名で増加傾向となっている。新規入会者の内8名が女性(44%)。全会員数で女性の比率が26%は歴史研究会では高い比率である。会報誌にも掲載されているが横歴以外でも会員の活躍が盛んである。
 
 
(3)第3号議案 令和5年度収支決算報告     会 計  石井 昭徳

例会への出席者が増えてきた為例会費収入が大きく増えている。このため会報等の送付が少なく通信費が予算より減少した。参加者が少なかったため旅行の余剰金が大きく減った。
 
 
同 監査報告           監 事  宮下 元
12月16日に監事2名で監査し、相違ない事を確認した。
 
 
 
(4)第4号議案 会報の発行          名誉会長 木村 高久
計画通りに会報誌第84号・85号を発行した。
(特集テーマ「横浜の偉人」)
 
 
(5)第5号議案 令和6年度活動計画      事務局長 上野 隆千

(6)第6号議案 令和6年度収支予算      会 計  石井 昭徳

(7)第7号議案 規約改正           名誉会長 木村 髙久

(8)役員異動  役員異動           会 長  熊本 修一
新任 常任理事 佐藤猛夫(理事退任) 常任理事 武中正文(理事退任)
退任 名誉会長 木村高久(役員より職掌の変更)

(9)報告事項 会員表彰・新編集委員    会 長  熊本 修一
皆勤賞・会員紹介運動の表彰、特別表彰が行われた。
編集長 長田 格(おさだ かく) 編集委員 遠田千代吉 編集委員 金子ユカリ

5. 閉会のことば              名誉会長 木村 髙久

*活動計画、会計報告、他詳細については総会資料をご覧下さい。
 

 

〇新春講演会

〇演題・・・「孝謙女帝の結婚話-淳仁天皇の后を巡って」(午後2時30分~4時00分)
〇講師・・・ 松尾 光 先生
早稲田大学エクステンションセンター講師
今回の講演は草壁嫡流を維持するために聖武天皇や光明皇后が仕組んだ孝謙女帝の結婚にまつわる話で資料や系図を参照し、時にユーモアを交えながら解説頂いた。講演後の質問タイムでは4人の方からの質問があった。

【質問】東大寺正倉院の『 国家珍宝帳 』に記載されている「黒作懸佩刀」は草壁皇子から不比等に授けられた皇子の護り刀で、後に聖武天皇に譲られたと伝えられている。現在は行方不明である。孝謙女帝の夫の淳仁天皇が自信をもって聖武天皇の皇太子と言っていたのはこの黒作懸佩刀の授受があったからでは?
【応答】佩刀を持たすので有名なのは桓武天皇の話がある。それを遡らせてつくられた話ではないかと思える。
不比等と天皇家はそこまで深く結びついていたかどうか。本当にあったという事が証明できていないので平安初期に創られた伝説かもしれない。

【質問】飛鳥時代から江戸時代まで10代8人の女帝がいるが、どの女帝に一番興味を持たれるかあるいは評価されているか。
【応答】推古天皇は画期的。その前に仁賢の女で春日山田郎女が天皇になる予定であったが実際に就いたのは推古天皇。崇峻天皇が殺されたことで大王家の権威は失墜し、そのショックは大きかった。推古天皇は蘇我氏と対等に女帝として踏ん張った。大した人だと思う。持統天皇は好きか嫌いかでいえば相当嫌な奴だと思う。

【質問】古代社会の出産の件で先生の著書で40歳以上の出産がかなりあるが、古代では医学的、栄養・健康状態でも現代より良くなかったのでは。
【応答】文献は古代の戸籍で正倉院に残されている3種2千件くらいだが、律令国家ができたばかりで利害関係もない状態なので信用できる。栄養状態などは江戸時代までは変わらない。40歳位まで子を産むのは普通。男性は73~76才くらいまで父親の例があり、女性は60代まで出産例がある。これは生きていた場合で無くなったものは記録されていない。強い人は強く、弱い人は弱い。

【質問】恵美押勝の乱はあっという間に負けたが女帝はなぜそんなに怒ったのか。のちに百万塔を造って法隆寺に入れたがなぜそこまでしたのか。
【応答】淳仁天皇との関係は母に無理強いされて気に入らず道鏡が好きで接近したが、それを指摘したのが藤原仲麻呂なので怒った。壬申・広嗣・仲麻呂の乱と続き、多くの人が殺され琵琶湖畔が血で穢れた。仏教に帰依していたので血の穢れを嫌い百万塔を造った。古代神社会では血の穢れは気にせず、伊勢神宮では境内に撒いていた。

【会員の方からの感想】
*久し振りに参加出来て、嬉しかったです。淳仁天皇が生涯独身であった事の政治的な思惑など様々な考察を伺い、大変勉強になりました。有難うございました。

*当時の婚姻事情や女性の平均出産年齢について丁寧にご説明があり、思ってもいなかった切り口での講演でした。以前から孝謙女帝には興味があったので今後も勉強していこうと思います。

*講演の冒頭で先生はこう仰いました。
「講演を聴きに来た人は質問する権利がある。折角の機会なのに質問しないなんて勿体ない!」
うーん、なるほど。初めて耳にした言葉ですが仰る通りです。学問に対するオープンマインドな姿勢をお持ちの方だな、と思った瞬間でした。お話をさせていただく中で先生は、史料批判が大事なのは文献史学の分野だけではない。遺物・遺構などを扱う考古学の分野でも史料批判は必要だと強調されていました。そして「疑うことは大切、僕は疑い深い。それに引き換え、妻は何でも信用してしまう」と笑っておられました。

令和6年度の交流始め

総会前に松尾先生と談笑する熊本会長

新年会の乾杯



小学生会員から中学生会員へ

面白い顔して!

難しい顔して!









変顔して!