[横歴通信11月」例会開催


11月3日(日)例会の参加者は88名でした。(会 員 78名・新会員 2名・ゲスト 8名)
三連休の中日でうららかな秋晴れの一日となりましたが、閉会時には会場近くのスタジアム周辺は野球ファンでいっぱい、皆様無事にご帰宅できましたでしょうか。
11月23日(日)に秋の歴史散歩を開催します。藤沢宿を巡って遊行寺(清浄光寺)を中心に見学します。是非ご参加ください。

新入会員

大墨 伸明(オオスミ ノブアキ)さん
古代史に関心を持っています。いろいろな解釈があり面白い世界と思い夢中になりました。八王子の大学セミナーハウスで7年間続けていて、実行委員となって先生との折衝を担当しています。どのような史料事実に基づきどういう構築をされているのかと面白いです。今春から野毛山荘の古代史講座を担当しています。古代史に興味を持っている方と交流したく入会しました。

 

渋谷 効民(シブヤ ショウミン)さん
東京都在住ですが横浜に縁があります。仕事は小学校の副担任をやっていてちょうど6年生が歴史を始めているので、ここで得た知識を子供たちに広めていけたらと思います。
 

 

 

  熊本会長

今月23日に秋の歴史散歩が開催されます。藤沢宿をスタート、一遍上人ゆかりの遊行寺を拝観するコースです。是非皆さんご参加ください。また、11月10日に開港記念会館2階でなか区民センターのお祭りがあります。当会の活動紹介コーナーもあります。受付に案内も置いてあります。是非お立ち寄りください。先週は大谷フィーバー、今日は野球の日本一を決める試合があり、9時過ぎに終わるので巻き込まれないように早々にご帰宅ください。今年もあと2か月となり寒くなってきたので十分お身体に気を付けてお過ごしください。

 

 上野事務局長

上州遊山さん

12月の例会案内で変更になった部分があります。例会会場が1階1号室となっていますが2階6号室に変更となりました。修正お願いします。
高尾顧問と江戸文化の研究をご一緒にされている方が珍しい亀趺(きふ)の写真集を出版されました(高尾さん編集)。亀趺とは亀の形の台座の上に墓碑などがあるものです。ご本人が群馬からいらしたのでご紹介します。上州遊山さんです。
ご本人談ー(亀の形をしたもので江戸初めごろから作られ、磯田道史先生からも”待ってました”とハガキを頂戴しました。これほど網羅したものは空前絶後だと思います。)
 

秋の歴史散歩

「晩秋の藤沢宿・遊行寺を訪ねて
~旧東海道・藤沢宿の史跡と寺社、特に遊行寺をじっくり探訪~」開催


日 時 11月23日(日)
*雨天中止(中止の場合はHPに掲示、不明の場合は下記幹事にお問い合わせください)
集 合 12時30分
小田急江ノ島線・藤沢本町駅前

*各自昼食を済ませてきてください。
参加費 1000円
(拝観料、入館料、団体保険料など)
解 散 15時30分~16時頃
(遊行寺宝物館で入館手続き後に自由解散)
*懇親会参加者は16時30分に宝物館前に集合
懇親会 JR藤沢駅前 くいもの屋「わん」(藤沢プライムビル5F)
            会費3500円

幹 事 竹内章二 090-3240‐2613 上野隆千 090-5543‐0869
    高 田茂 090-5529-0566 丸山雅子 070-5577‐6651

*旧東海道の藤沢宿を巡りながら、時宗総本山遊行寺をじっくりと見学します。
*宝物館では遊行寺開山七百年記念特別展「藤沢のおぐり」を開催中です。

 

 


平 博子さん・・・演題「幕末日本に大きな影響を与えた英国外交官アーネスト・サトウ」
*幕末のできごとについては、多くの場合国内事情から述べられている場合が多い。この時期の歴史を外国人の眼から著述されているケースは珍しいといえる。アーネスト・サトウについては、普通の人はジョン万次郎と同じように日本人の名前と考える人が多いと思われる。幕末の日本を考えるにあたってタイムリーな視点からの発表であった。
 この時期英国はヴィクトリア王朝時代であり、世界に冠たる大英帝国の時代でもあった。こうした時期に日本に来日した19歳のサトウは、通訳生試験に首席合格する優秀な頭脳をもち、語学力、胆力に秀でた若者であった。この若さで幕末日本の主要人物と交渉できたことは、通訳官の域を超えた行動であったが、背景に世界のリーダーである英国の優位性があったことは確実であろう。
当時のサトウの事績については、著書である『一外交官の見た明治維新』に記録されているが、発表者が触れたように54年前のことを思い出しながら書いた回顧録であり、その内容については注意して受け止めなければならないと思われる。
*まずアーネスト・サトウの写真を見て貴族的な顔立ちをしていると最初に思いました。開国後の問題を抱える日本で優秀な通訳として活躍した彼の『英国策論』は当時の日本の政情をよく見極めていると思います。明治時代に入ってからのサトウは各地を旅行したり、登山も行ったとあり、日本の生活を楽しんだようですが、帰国の際に家族を同行させなかったのはなぜでしょうか、とても不思議です。また、サトウから見た徳川慶喜や西郷の人物評は興味深いです。
 

 
高尾 隆さん・・・演題「異才の改稿山岡鉄舟と三遊亭圓朝」
*幕末の三舟の一人、山岡鉄舟は書と禅を兼ね備えた剣豪である。幕末の混乱時、徳川慶喜の名代として薩摩藩士一人を連れ、朝廷軍ひしめく中をかいくぐり西郷隆盛と談判したことが、後の江戸城無血開城を導く。維新後も幕臣の処遇改善に奔走し、西郷にこわれ10年間明治天皇の侍従となった。
 一方しがない噺家の父を持つ圓朝は、幼年時から天性の才能を開花し10歳で二つ目となる。25歳の時、『牡丹灯篭』を発表し好評を博すが明治政府の文化統制を機に素噺に転向。その後陸奥宗光の父、伊達自得居士に禅を教えられその縁で鉄舟を知る。鉄舟の前で演じた圓朝は、鉄舟の指摘と禅修業により「無舌」の悟りを開くに至る。
 二人はそれぞれの世界で活躍するが、禅を通じての交流は続いた。明治21年、鉄舟は53歳で結跏趺坐の禅を組んだまま往生。鉄舟没後も圓朝は活躍を続けたがそれから12年後、62歳で永眠。
*高尾さんの美声は素晴らしいですね。1850年代の江戸の唄や都々逸の暗唱は芸能に詳しい高尾さんならではと思います。鉄舟と圓朝、全く違う二人がどこで出会ったのかとても興味がありました。「秀才と天才」とはいってももちろん鍛錬なくしては成果はありませんが。レジメの細かな年表には恐れ入りました。二人の年表以外にも世の中の動きもわかるので比較しながらイメージしやすくよくわかります。ありがとうございました。

 

 
真野 信治さん・・・演題「プロデュースされた赤穂事件」
*ご存知誰でもよく知っている赤穂事件。けれども、歌舞伎等で周知される事件の内容は果たして事実であったのか。
 『多門伝八郎覚書』にみえる片岡源五右衛門らの主従の暇乞いや、内匠頭が詠んだといわれる辞世の句などは明らかに伝八郎のプロデュースであった可能性が大である。物語としては辞世の句も大きなハイライトとなるが、内匠頭が預けられた田村右京太夫屋敷の役人としては、淡々と処理をしていくことが最優先の課題であったと思われる。
 このように、世間に出回っている話であっても、その史実を認めるにあたってはよくよく当時の史料を調査し、その史料の背景にも注意を払う必要があろう。時代は常に動いており、最新の研究者の見解に触れることは、まさに「目から鱗」の楽しさを与えてくれる。
*以前は大みそかというと必ず「忠臣蔵」「赤穂浪士討ち入り」などの映画やドラマが放送されていた。これを見ると完全に悪役吉良上野介に大石内蔵助一団が仇討ちを果たしたかのように描かれてきたが、仇討ちの定義から言えばこれは仇討ちとは言えない。江戸時代には確かに仇討ちが認められていたが(中世から武士の台頭に伴って慣行とはなっていたが御成敗式目では禁止されている)主人が非合法な実力行使で殺害されたわけではなく、加害者?が行方不明で公権力が処罰できないわけでもない。そもそも事件の発端の真相は、というところから見ると全く筋が通らない。藩が御取り潰しとなって、そこに浄瑠璃坂の仇討ち事件を参考にあわよくば他藩に召し抱えられるのを狙ったのではとも邪推してしまう。資料から辞世の句といわれているのも全く別のところから取られているとは・・庶民受けするようにまさにプロデュースされた事件、これからも真野さんにはテンポの良い語り口で真実を教えていただきたいと思います。
演者談ー時間がなくて十分にお話が出来ませんでしたが、『歴研よこはま』81号42頁に「与惣兵衛と伝八郎」を投稿しています。さらに詳しいことはこの投稿文をご覧ください。