[横歴通信1月]令和7年度定期総会・新春講演会開催

令和7年1月11日(土)定期総会・新春講演会が開催されました。

本年度の定期総会・新春講演会は総会 70名、講演会 78名、新年会 58名の参加者がありました。(内総会出席者65名)
すべての議案は承認され、会員表彰・新編集委員の報告も行われました。

新入会員

黒澤孝之(くろさわ たかゆき)さん
箱根駅伝で知られる権太坂から東戸塚に行く近辺に住んでいて、東海道は毎日歩いている。この会で頭の中を活性化していきたいと思う。会の目的でも勉強とともに親善を図るとあった。皆さんと友好親善を図りながら、刺激を受けながら、明るく楽しく勉強していきたい。
 
 
白樫 潤一郎(しらかし じゅんいちろう)さん
先月の町会の会合で近くに座った吉宗さんから「歴史に興味はありませんか、横歴という会があり、楽しいですよ」と誘われた。仕事では日本全国を回った。現在、毎朝一日5千歩を歩いている。老人会の活動で理事をやっている。歴史もそれほど興味があったわけではないが、皆さんにご指導いただきながら勉強していきたい。

 

 

令和7年度定期総会

〇定期総会(午後1時~2時10分)
★ 上野 隆千事務局長による司会進行で始まりました。

1. 資格確認               副会長  竹内 章二
本日現在の会員数135名。本日の出席者65名、委任状42名、計107名。定期総会の成立条件を満たす過半数の68名を超えているので本定期総会の有効・成立を確認。

2. 開会のことば            理 事  平 博子

3. 会長挨拶              会 長  熊本 修一
あけましておめでとうございます。昨年のお正月は能登地震で大変でしたが、今年は天候も穏やかで静かなお正月となりました。
会の活動についてはこれから詳しい話があります。7年度総会ということで議論もあるかと思いますが忌憚ないご意見を頂戴したいと思います。
新春講演会は淑徳大学の遠藤ゆり子先生の「東北版関ヶ原の戦いと伊達政宗の母」という演題の講演です。遠藤先生は戦国時代、特に東北地方の研究をされていて、非常に面白い話が聴けることと思います。
最近はインフルエンザやマイコプラズマ肺炎が流行っていて40度を超える高熱が出て苦しい思いをして、薬も手に入りにくい状況です。健康に十分留意いただきたい。

4. 議  題

(1)【第1号議案】(令和6年度総括及び今年度の展望)について熊本会長より説明があり、承認された。
(2)【第2号議案】(令和6年度活動報告)について上野副会長より説明があり、承認された。
(3)【第3号議案】(令和6年度収支決算報告)について石井会計から説明があり、外岡監事より適正との監査報告がなされ、承認された。
(4)【第4号議案】(会報の発行)について長田理事より、令和6年度は第86,87号を発行。87号では本文のカラー化を実現。7年度は88,89号と2回会報発行計画との説明・提案があり承認された。
(5)【第5号議案】(令和7年度活動計画)に関して上野副会長より説明・提案がなされ承認された。
(6)【第6号議案】(令和7年度収書予算)につき石井会計より提案がなされ、承認された。
(7)【第7号議案】(役員異動)に関して熊本会長より、役員新任(鬼海理事)の提案がなされ承認された。
(8)【報告事項】会員表彰―皆勤賞、会員紹介運動表彰、令和7年度の編集委員)-長田・遠田理事と佐々木眞佐子さん(新任)が報告された。

5. 閉会のことば                名誉会長 木村 髙久

*各議題の詳細については『令和7年度定期総会資料』をご覧下さい。

 

〇新春講演会

〇演題・・・「東北版関ヶ原の戦いと伊達政宗の母」(午後2時30分~4時00分)
〇講師・・・ 遠藤 ゆり子 先生
徳大学人文学部歴史学科教授
関ヶ原の戦いと連動する東北版の戦いとして、伊達政宗、最上義光、義姫・保春院(伊達政宗の母)、伊達政景、上杉景勝、直江兼続を登場人物として、東北版関ヶ原の合戦勃発から大名同士の縁組で嫁いだ女性の動向や役割、戦争の根底にある民衆の生存問題などについて、地図上で位置関係や一次史料を用いて、史料を読み下しながらの解説をいただき、非常にわかりやすく興味深い講演でした。講演後、多くの質問が寄せられ、先生にご回答いただきました。
質疑応答
(質)背景についてよくわからないのですが、伊達と最上との結びつきの強さはどの程度か。父親もなくなっているのに実家に戻るというのはなぜなのか。
(応)最上と伊達は地図で確認すると山形ー米沢と近く、実はしょっちゅう戦争と和睦を繰り返していた。和睦の条件で母が入ったと考えられるがそれからも戦争している。親の代から隣同士で仲が悪い。なぜ帰ったか不明。正宗が朝鮮出兵に行っている間に突然出奔したと史料に出てくる。留守を預かっていた家臣との関係かなとも考えているがはっきりとはわからないのでしっかり考えてみたいと思っている。

(質)具体的史料に基づいて非常に面白かった。上杉軍と最上軍とは軍勢に相当差があったと思うが、援軍などで半月以上も持ちこたえていた理由は分かったが、関ヶ原の勝敗の一報後1~2日で直江軍が撤退したのは何かいきさつがあるようなら知りたい。
(応)一つは今日の史料にも出てきたが、会津の景勝が政景に攻められるかもしれないというのに対応するために、会津に向かう必要があったのではと考えられる。 

(質)ドラマで政宗に毒を盛ったというのがあったが。
(応)史料には正宗が母のところにたびたび行ったということが出てくるが正宗はおなかが痛くて帰ったと書かれている。それが毒かは不明です。 

(質)一般的には義姫が次男を溺愛し、正宗に毒を盛ったことがばれて、すぐに出奔して実家に帰ったといわれている。正宗は義姫に対してマザーコンプレックスがあったのでは。頭の中では領土拡大で最上をいつでも下すことができると考えられていたのでは。
(応)一般的には毒を盛られてすぐに出奔したと考えられていたが、史料が見つかりその時は居たと判明した。朝鮮戦争の時に突如出奔したことは明らかとなっている。マザーコンプレックスというのは母のことは好きだったと思うが、家にたびたび行っていたのは慕っていたのもあるかもしれないが、母と二人で家を運営するためだったと考えられる。伊達家の史料なのでどこまで信用していいのかわからないが漁夫の利を得ようとしたのか、助けようとしたのか、どこまで求めたのかは不明だが、相手を滅ぼすまではやらない。戦っても滅ぼすのは大変だと思っていたかもしれない。心のうちまでは分からない。 

(質)東北版といわれるが津軽氏や南部氏の動きはどうだったのか、西軍につく人はあまりいなかったのか。
(応)関ヶ原に行っている人もいる。秋田氏も上杉氏と対決はしているが、最上氏と上杉氏との主な戦いです。 

(質)最上家は長男は暗殺され、次男が後を継いでいるが毒殺され,その後取り潰されている。そのあたりのいきさつは。
(応)元和8年に取り潰されているが近江に所領をもらっている。 

〇新年会

定期総会・新春講演会後に新年会が行われました。
58名という参加人数で大広間に座して、12階の窓から見える横浜の夜景は素敵でした。
大いに飲み、食べ、話し、笑い、楽しいひとときを過ごすことができました。



残念ながら当日のキャンセルが多かったため、受付や会計の担当者はてんやわんやだったようです。ご苦労さまでした。

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